口論と嫌な記憶

日記

(ほぼ愚痴なので、閲覧注意)
珍しく、母と口論になった。
封印していた記憶が蘇ってしまった。
蘇ったついでに、過去をさかのぼってみた。
喧嘩した勢いで書いた為、粗いと思うけど残しておく。

小学生時代、父親が不倫、離婚した。
(当時の父は暴力的で、
母を傷つけることもあった為、私は父が居なくなって安心した。)
母は1人で私と姉を育てることになった。
私は中学生になった。
当時の私は明るい性格で、
小学生時代からの友達を中心に仲良くやっていた。
同級生と遊び、後輩を可愛がり、美術部の先輩に憧れた。
本当に何もかもが楽しかった。
そんな時、母親に男が出来た。
若い男で、たまに家に現れるようになった。
優しく接してくれるので、その頃の私的には好印象だった。
ある日、母の携帯のLINE通知が目に入った。
その男が私達姉弟を「〇〇(母)の子供達」と呼んで、悪口を言っていることを知った。
それでいて、会った時には一見優しく接してくるのが気持ち悪かった。
数カ月経ち、母とその男(継父)が結婚した。
再婚に伴って、中一の夏、継父の住む地(県外)へ引っ越し、および転校した。
引っ越し先は田舎だった。
畑に囲まれた住宅地、木々はなく、鶏糞の匂いがする、周りにお店も何もない場所だった。
(引っ越す前も田舎ではあったが、お店は充実していたし、緑豊かな所だった)
転校先の中学(継父の母校らしい)は、これまでと全く空気が違った。
校舎は古く、クラス数は転校前の半分以下だった。
生徒は昔からの付き合いのグループで既に固まっていて、私は加われなかった。
転校前は面白可笑しく、楽しかった授業が
転向後は淡々と説明するだけの授業に変わった。
転校前は許されていたことが、ここでは許されないことばかりだった。
私は鞄にいろんなキーホルダーをつけるのが好きだった。
転校前は許されていたし、生徒同士の会話のきっかけにもなった。
転校後は全部没収され禁止された。
常に誰かを大声で叱る声が、廊下に響いているような学校だった。
私はその大声が大嫌いだった。
連絡手段が乏しく、転校前の中学の友達とは疎遠になった。
不登校になった。自室に引きこもるようになった。PCでネットゲームをし続けた。
一方姉も、同じくクラスになじめず不登校になった。いやがらせを受けていたらしい。
姉は、「お前は学校に行け」と何度も私を叱った。
姉は嫌がらせを受けたから不登校になったという明確な理由があった。
私は当時理由をうまく説明できなかった為、ただのサボりとして認知された。
当時の姉は私よりも体が強く、
時には姉に胸ぐらをつかまれ、部屋から引きずり出され、暴力も振るわれた。
それでも不登校は続いた。
ネットを強制的に切られた際には、3DSでうごメモを描いた。
3DSは何度も没収された。
そんな時は、隠し持っていたゲームボーイアドバンスが頼りだった。
深夜、家族が寝静まった時、こっそり部屋を出て、
母がラップしてくれた夕飯を食べた。
引きこもっているうちに、自分に自信がなくなった。
人と会うのが怖くなった。
会話が苦手になった。
引きこもりになってから、継父とは殆ど話すことはなかった。
引っ越してしばらくして、
継父の本性が掴めてきた。
・継父のマザコン気質が露呈した。
我々が県外から引っ越して来た理由は、継父が義祖母の傍から離れたくないため、
継父の実家の近くの賃貸に引っ越させたということだった。
そのために、私は中学を転校させられたということになる。
そもそも、義祖母側も過保護な面があり、継父の愚痴を聞いて母や私、姉を叱りに来たりした。
・継父の我儘な性格が露呈してきた。
ある日、母が作った料理に輪切りの胡瓜が入っていた。
継父は明らかに不機嫌になり、何かブツブツ言いながら
入っていた胡瓜をあろうことか箸でテーブル上に投げ捨てた。
他、気に入らないことがあると壁や支柱を殴り続けて大きな音を出した。
隣人とも揉めていた。
・継父の猫嫌いが露呈した。
再婚前より、我が家には長年飼っている愛猫(さだはる)が居た。
継父は表向きはさだはるに優しく接しているように振舞っていたが、
裏ではクソ猫、臭い猫と言っていた。
さだはるに爪でひっかかれた際には、大声で怒鳴りながら、追い回していた。
さだはるはおびえていた。
私は、恐怖、失望、畏怖、怒りを感じた。
私もおびえることしかできなかった。
こんなに人間を嫌いになったのは初めてだった。
そして、なんでこんな奴を選んだんだと、見る目がなさすぎる母をも憎んだ。
母と継父の間で妹が生まれた。正直全く祝福できなかった。
高校受験の時期と重なり鳴き声が辛かった。
ミルクを作るのは楽しかった。
継父は基本的に自分の実家(義祖母の家)に居り、我々が住む家にはあまり帰ってこなかった。
たまに現れては妹を実家に連れ去っていく存在と化していた。
母は義祖母の影響で宗教にハマった。
気が付くと母の部屋に謎の仏壇やお経が書いてある紙があった。
受験前に仏壇の前に座らされて、よくわからないお経を読み聞かせされたのを覚えている。
とてつもなく不快だった。宗教そのものが理解できず、
それに母が没頭していくのがなにより辛かった。
止めるよう言っても耳も傾けてくれなかった。
私は中学を卒業し、県立高校に入学できた。
お経のおかげと言われて心底腹が立った。気味が悪いので一刻も早くやめてほしかった。
高校時代も会話は苦手なままだった。
それとなく接して、嫌われることだけを避けるようになった。
遊んだりする友達はできなかった。
バイトを始めると、母は金の無心をするようになった。
私がお金を出さないと、電気、ガスが度々止まった。
継父は何をしているのか、なぜ私ではなく継父を頼れないのか。
お金もないのに妹を作る無計画さにも腹が立った。
学生である私の数万円と、社会人、
大人の数万円では価値が全く違うということがわからないのか、と
なんども衝突したが、結局私は、頼られる度にお金を渡した。
高3になった頃、継父とは会話も無ければ顔もほとんど見ないし
どんな顔だったかも覚えてない。
高校を卒業した。
卒業してすぐ、親が離婚した。
高校に入る前から夫婦仲は最悪だったし、私も姉も元継父が大嫌いだったので
やっと離婚したか、と思った。清々した。
久々に元継父の顔を見た。髭面の、知らないおっさんだった。
妹は元継父に引き取られた。

その後私は就職し、転職し、現状のフリーターになった。
遊ぶ友達はいないし
唯一居たゲーム友達も、訳あって最近は疎遠になっている。
完全に孤立している。

それでも、なるべくポジティブでいようと心掛けている。
でも心の奥底で、再婚や離婚、親の都合に振り回されて、人生を歪められたと思ってる。

過去は変えられない、今を生きるしかない、考え方次第、と人は言う。
そう思いたいし、実際、受け入れて生きるしかない。

昨日、元継父から母にLINEがあったらしい。
私は普段、元継父関連及び中1の夏~高校卒業までの記憶は
なるべく消す(思い出した瞬間別のことを考える)様にしているので
突然の元継父関連イベントに驚愕した。
文頭は、大切なお話があります、とかだったらしい。
離婚してもう5年は経っているのに、今更何の連絡なのか。
大方、妹が会いたいと言っているとかだろうと思うが。

母は見たくないので、内容を読まずに元継父のLINEを非表示にしたらしい。
母としてはもう関わりたくない、離婚のときに何度も伝えているとのことだった。

妹の親権は母がとるつもりだったようだが、
元継父がとるという話をした際に母は、
・育て上げる覚悟があるのか
・どういうことかわかっているのか
・母は妹が大人になるまでは何があっても会わない
・連絡はとらない
と再三伝え、それでも親権を持って行ったらしい

それなのに連絡をしてくる神経は何なのか。一体何があったのか。

私は内容が気になったので、
「既読を付けないで読む方法があるから、見せて。
私の人生を歪めた要因でもある人から、どんなLINEが来たか気になるから。」
というと母は
「人のせいにするんじゃないよ。」
とだけ返答した。

他人事のような言い回しに、苛立ちを覚えてしまった。
母が言いたいことは分かるけど、
つい、感情に任せてしまい、朝から口論になった。

私「人のせい、というか、親の都合の再婚やら引っ越しやら転校やらで振り回されて、
明らかに私は被害を被ってるでしょ。
それを人のせいにするなって、振り回した本人が言えること?」

母「何なの。じゃあどうしろっていうの?
過去は変えられないんだから、考え方を変えるしかないでしょ」

私「なんで開き直ってるの?
考え方を変えるのはあくまで私であって、
その前にお母はまず、『悪かった。』と言うべき立場でしょ?
『悪いけど、どうしようもないから、考え方を変えてね。』と言うべき立場でしょ?」

母「悪かったね。」

私「この件は私の中でも相当デリケートなことだから。わかってね。」

そんな口論だった。

結局、LINEの内容は母も私も見なかった。

朝から、それも出勤前から悪いことをした。母だって、色々考えてるだろうに。
借金までして、ここまで育ててくれた母には感謝してるし、
できれば楽させてあげたいと思っている。
母を責めてしまうと、本当に心が痛む。後で謝る。

そもそも、母を責めても仕方ないし、実際どうしようもないことなんだけど
この件に関しては、24歳にもなって、未だに気持ちが纏まらない。
情けなく思うが、多分一生引きずることだと思う。

この歳になってもまだ
中一の夏までの記憶が、いまだに鮮明に脳裏に刻まれている。
夢に出てくるのも、その頃の友達が多い。
大人になりきれない自分が情けない。本当に情けなく、悔しく、思う。

ポジティブに捉えられるよう、努力する。

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